「旅の始まり」
クルクルと風に吹かれる風車にでもなったかのような私の大阪暮らしも、ようやく半年が過ぎた。初めて住む町の風は今もまだ私に、ときめきに似た期待感と戸惑いとを同時に運んで来る。 「大阪は南への入り口」と、まさじさんは言うが、福岡生まれの私にとってやはり関西は未知の土地だ。夏から秋にかけて、大阪、神戸、京都、奈良・・・とコンサートに同行する内に、真っ先に気が付いたこと、それは、「関西」を一括りに語ってはいけないということだった。 どこも全然違うのである。おまけに、その町の住人は、自分たちの町が一番だと思っているのだから、決して一緒くたにしてはいけない。私が自分のことを福岡、というよりは「九州人」と認識してしまうのは、古里からの距離のせいだろうか。 よく、「どこの町が好きか」という質問を受ける彼が、福岡・久留米のステージで「その町が大好きだという人がいてはる町が、僕はみな好きです」と話していたことを思い出した。これが私の「関西発見」の第一歩である。 さて、大阪で初めて目にした記念すべきステージは、「フォーク大学中之島校」。映画「タカダワタル的」の上映前夜のトーク&コンサートだったのだが、これは、偶然とはいえ、とてもうれしいことだった。田川律さん、高田渡さん、桂南光さんと、まさじさんにとっては大切な、長いお付き合いの人たちと一緒のステージ、ということはもちろんだが、中之島公会堂という場所がまた魅力的だった。ディランUの解散コンサートの会場にと、彼がこだわった場所でもあるからだ。 公会堂へと向かう道は川沿いに青々と繁る桜並木が続き、濃い緑の葉陰から姿を現した公会堂は、優美な赤煉瓦の建築物。大正時代のネオ・ルネッサンス様式とかで、想像していたよりもずっと美しい。まさじさんは、「こんなきれいになったんやなあ」と、公会堂の中に入ってからもしきりに感心している。昨年、 4年にわたる保存再生のための改修工事を終えたばかりなのだ。 70年代、この場所では集会と呼ばれた講演やコンサートが行われており、表の中之島公園には、アジビラを配る人、絵を描く人、演説をする人など、それぞれの主張を抱いた若者たちでいっぱいだったという。まさじさんが自作の詞集を 50円で売っていた恭蔵さんに出会ったのもこの場所だ。「沢山のコンサートに通ったけれど、ほかのホールは観賞するためのホールだった。でもここは、ぼくの中では“意識”のホールなんだよね」。ディランUのラストコンサートのために、中之島公会堂を選んだわけを、彼はそう語った。 「水の都」とも「なにわ八百八橋」とも呼ばれる大阪にふさわしい中之島界隈。今度は街道をゆっくり散策しようか、それとも川舟から橋や公会堂を眺めてみようか。私の大阪の旅は、まだ始まったばかりである。
中之島公会堂 時の流れを感じさせてくれる建物が、今でも大勢の人たちに普通に使われているのがいい。堂島川にかかる鉾流橋と水晶橋が撮影のポイント。